「……ったく!何だって今日、よりにもよって!!」
 何時間か前、教会の前でも言った同じ台詞を口走りながら、ノエルはシィラが示した隠し扉の場所を必死になって探していた。焦りが災いしているのか、思った通りに目当てのものが見つからない。
「シィラ!何で扉の位置まできっちり覚えてねぇんだよっ!そーゆーのがお前の仕事だろ!?」
「あ、あたしに当たんないでよぉ!とにかく、男達はカタリナさん連れてここら辺にあった扉から地下に潜って行っちゃったんだから」
「その、”ここら辺”ってのが曖昧だって言ってんだ。……って、おぉっ?」
 ガタン、と低い音が響いた。正面の壁がゆっくりと横へスライドして行く。壁が開いて行くにつれ、中のひんやりした空気が二人の頬を撫でて通り過ぎて行った。
「……ほら、あったじゃない。”ここら辺”にさ」
 結果良けりゃ全て良し、でしょ?
「その、結果が出るのはこれからだけどな」
 さらっとそう言い放ち、ノエルは慎重に階段を降りて行く。その後ろ姿を追いながら、シィラは頬を膨らませてとうとう怒鳴ってしまった。
「ホンット、可愛くないんだからぁっ!!」


 降りた先は、上の聖堂とほぼ同じような部屋だった。
 違うのは、地下だけあって窓が一つも無い、というぐらいのものである。薄暗い所為か、下手をすればこちらの方が上の聖堂よりも古いようにも見える。
 窓が無いのにうっすらと明かりが灯っているところからして、この場所には誰かがいるのだろうという気配を伺わせていた。
「ふーん。地下にこんな大聖堂が、ねぇ……」
 ゆっくりと聖堂内を歩きながらノエルは言う。
「一体、何の為にこんなもんを作ったんだか」
 苦笑いのような曖昧な表情を浮かべたその視線の先には、先程の四人の男達がいた。どっからどう見ても、ただの村人にしか見えない四人組みである。
「……さて。それじゃ、お仕事開始と行きますか」
 カタリナの姿は見えない。シィラに目配せをすると、彼女は頷いてそっと飛び去って行く。
 それを確認し、ノエルは一人、男達の方へと歩み寄って行った。彼がその手に持っているものは、分厚い聖書が一冊。
 特に身構えるでも無い、普通の歩き方で近寄り、何もリアクションを示さない男達の背後から、彼らが何をやっているのか覗き込んでみた。そこまでしても、彼らは床に穴を開けるという単純作業に夢中らしく、何のリアクションも示さない。
「……貴方方の親玉さんが誰なのか、教えてもらいたいんですけどね……」
 苦笑を浮かべ、微妙に口調が仕事モードに戻ったりしながら、彼は誰にとも無く問い掛けた。もちろん、返事は無い。あまりのリアクションの無さに、大胆にも男達の前に回りこんで顔の前で手をヒラヒラさせてみたりもしたが、それでも全くの無反応。彼らは、ただ黙々と床に向かって作業を続けるだけだ。
「……綺麗に無視シカトですか」
 ここまで綺麗に無視されると他に呟く事も無く。
 ま、それはそれで、襲ってこられるよかずっとマシなんだけどさ。
 一応、村人さんなワケだしねぇ。
「ほんじゃ、ま、とりあえず、ね」
 心の中でぶつぶつ呟きつつも、口では呪文の詠唱を始めるという、中々に器用な高等技術を彼は持ち合わせているらしかった。開いている左手で十字を切ると、仕事モードに近い柔らかな口調で魔法を発動させる。
「我、命じるは浄化の白。我の命に従い、不浄なるものよ、退くが良い!」
 その声に従って。
 ポゥっと優しい光が辺りを包んだ。白い光はそれでも構わずに作業を続ける男達に取り付き、すぅっと身体の中に吸い込まれて行く。
 ――次の瞬間。
 光が、弾けた。
 それと共に、聞いた者の心の奥底から恐怖が湧きあがってくるような悲鳴が聞こえ、意識を失って倒れた男達の身体からそれぞれ、黒いもやのようなものが浮き上がって来る。先程、ノエルが使った魔法で生じた光とは対極の位置にあるような、見ているだけで胸が締め付けられるような、そんな黒い塊。
 天井付近をぐるぐると回っていた不浄の塊はやがて、お互いに引かれ合い、一つの塊と化した。
「……ほー。アンタが、親玉さん?」
 ノエルのからかうような台詞に反応したのか、その塊は老いた男の姿になり、空中に浮んだまま彼を見下ろした。
「汝の望みは何ぞ――」
 頭の中に直接響いてくるような、そんな声で男は問う。
「ンな事いきなり言われてもねぇ。考える時間がねぇとちょっと答えられねぇな。意外と、今の暮らしに満足してるからよ」
 もしこの場にシィラがいたなら、「え、そーだったのぉ?」とからかいの言葉の一つでもかけた事だろう。その様子が安易に想像出来て、ノエルは口元にふっと笑みを浮かべた。
「そうだねぇ……。今の俺の望みは、アンタがあっさり消滅してくれる事、かな――なんて、言ってみたりして」
 笑みを浮かべたまま、右手に持った聖書を男に向かって突き付ける。
「”悪魔の言葉に耳を貸してはならない”ってさ。小さい頃からずぅぅぅーっと聞かされ続けてきたワケ。ったくよ、今までの人生の中で一番聞かされた言葉なんじゃねぇかって思うほどは聞かされたよな。アンタのお仲間さんと、こーやって顔突き合わせる事なんざ、数える程しかねぇってのによ」
 これまた、彼の相棒がいたなら何かしら突っ込みを入れられそうな台詞。
 シィラが言う”仕事モード”の時のような優しい笑みを浮かべながら、でも、口を付いて出る言葉はいつもの彼本来のもので。
 あまりにもアンバランスで、ほんの少しでもバランスが崩れれば壊れてしまいそうな絶妙な危うさ。そんな危うさの上に、今のノエルは成り立っていた。
 それとも。
 この、”普段の彼”と”仕事モード”の時の彼をミックスしたような今の状態が、本来のこの青年の顔なのだろうか。
「汝、我を愚弄するか」
「口が悪いのは生まれ付きでね」
 間発を入れずに返したノエルの台詞と、その後に訪れた微妙な間。
「汝の願い――しかと受け取った」
「おいおい、俺は何も――」
 ノエルの台詞が終わる途中。男が向けた掌から、黒い光の刃が打ち出された。間一髪でそれを避け、口の中で早口に呪文を唱える。その横で、黒い刃が当たった床がじゅっと嫌な音を立てて溶けた。
「我、命じるは破滅の青。我の命に従い、今この者を打ち砕け――!」
 ゴゥッ!!
 正に、一瞬。
 力ある言葉を発したノエルの周りから立ち上った青い光の柱。それは、とても美しい光景だったのだが、男には確認する事が出来なかっただろう。何故なら、その直後には光の柱は他の誰でも無い、男の身体を打ち砕き、最初に村人の身体の中から現れた時のように、人の形を保っていられなくなっていたのだから。
 ノエルが、ふっと左手を振る。
 無造作なその動作に反応し、四散した青い柱が一斉に眩いばかりの閃光を放った。
 爆発的な閃光は、すぐに収まった。もう、黒い塊は部屋の何処にも確認出来なくなっている。
「……呆気無いな。この程度の悪魔に二百Gか?」
 ぽつりと口をついたその呟きは、彼自身意識して言ったものでは無かった。あまりにも拍子抜けで、思わず言葉になって飛び出してしまった台詞である。
「ノエルぅ〜。また何か強烈な光魔法使ったでしょー。あんまり強力なヤツ使うと、あたしにも影響が来るって事、覚えてるぅ?」
 ひらひらとシィラが飛んで来る。
「覚えてるよ。だからいつも仕事ン時はお前非難させてるんじゃねぇか。で?カタリナさんは?」
「ああ、向こうの教壇みたいなとこ。大丈夫、眠ってるだけだよ」
 あたしじゃ大きくて運べないし、と言うシィラに、そりゃそーだよな、と大真面目に頷いてしまうノエルだった。
 何となく、腑に落ちないもどかしい気持ちを抱えたまま、ノエルはシィラについて教壇へと向かう。
 ――何か、変だ。
 何かが、引っ掛かる――。
 そんな、奥歯に物が挟まったままそれがどうしても取れない時のような気持ち悪さを感じながら、ノエルはシィラとカタリナの下へとやって来た。
「カタリナさん、カタリナさん、しっかり〜」
 シィラが一生懸命呼びかけている。が、依頼人は固く瞳を閉ざしたままだ。傍らにいるシィラを避けさせ、とりあえずカタリナの脈を取ってみる。それが正常に動いている事を確認し、ノエルは彼女の身体の上に左手をかざすと小さく呪文を唱えた。その言葉に従い、薄く緑掛かった淡い光がカタリナの身体を包み込んで行く。
「……カタリナさん。僕です、ノエルです。聞こえますか、カタリナさん」
 魔法が聞いたのか、それともノエルの呼びかけが届いたのか。カタリナは小さく呻き声を上げ、ゆっくりとその美しい漆黒の瞳を開いた。
「……あ……。あの、私……」
「良かった。無事だったんですね。何処か、怪我をしていたりはしませんか?」
「いえ……大丈夫です」
 なんてゆーか。
 二人の世界よね。
 取り残されたシィラがぼそりと呟いた。
 しかも、さっくりと仕事モードに入っちゃってるし。
 いっつも思う事だけど、あの変わり身の速さはある意味特技だと思うのよね、あたし。
「あの……それで、悪魔は……」
「ああ。それなら、退治しましたよ」
 立てますか?とカタリナに手を差し出す。カタリナは、大きく瞳を見開いてノエルを見つめ、次の瞬間、彼の首に飛びついた。
 そんな事態を予想していなかったノエルは、勢いに押されて思わず二、三歩後ろへ下がる。
「ぅわッ!?か、カタリナさんッ!?」
「ちょッ!!ちょっとぉ、何すンのよっ、あたしのノエルにぃーッ!!」
「あ、あたしのって、ドサクサに紛れて人を勝手に所有物にすんなっ!……って、カタリナ、さん?」
 カタリナはか細い肩を小刻みに震わせ、ノエルの胸に顔を埋めながら泣いている様だった。それを見て、ノエルもシィラも騒ぐのを止める。
「……カタリナさん……」
「……すみません……。でも、これで……」
 私も復活出来るわ・・・・・・・・
「な――ッ!?」
 ドンッという重たい音と共に。
 カタリナを支えていたノエルの身体が吹っ飛ばされた。




 どさっと不快な音を立て、弾き飛ばされたノエルの身体が仰向けに落下する。慌てて彼の方へと飛びながら、シィラは怒りのこもった瞳をカタリナへと向けた。
「あ……アンタ、何って事してくれんのよッ!こんなんでも、ひっさしぶりに見つけたあたしのマスターなんだからねっ!!もしまかり間違って死にでもしたら一体どー責任取ってくれるつもりなのよぉっ!!」
「あら……そうでしたの。そんな事とは知らずに……。御免なさいね、おチビさん」
「ンもー、アンタの事、最初っから気に食わなかったけどホンットのホントに大ッ嫌いだわ!アンタ、最初っからこれが狙いで――!!」
 喚き立てるシィラを横目に、カタリナはノエルの方へと近付いて行く。自分がいるのに急ぐわけでも無いその歩き方に、まるで馬鹿にされたようなムカつく気分を覚え、シィラはカタリナの耳元で怒鳴り立てる。
「だったらこんなまどろっこしい事しないで正々堂々とやったら良いじゃない!あたし達は逃げも隠れもしないわよ!!」
「残念ねぇ、おチビさん。私は完璧主義なのよ。手を下さないで目的の物が手に入るのなら、何だってするわ。尤も、貴女の”マスター”さんは、私が思っていたよりもずっと出来る方だったようですけど。簡単に消滅させてしまいましたけど、アレでも私の使い魔の中では結構使える方でしたのに」
 あーもう、どうしようどうしようどうしよう。
 その言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回っている。
 滅多な事じゃ、何ともならないと思うけど……。
 ちらりと、倒れたまま動かないノエルを見やる。カタリナは、そんな彼女のマスターの前にひざまずくと、つ、と彼の身体に手を触れた。
「嗚呼……。長かったわ。私がここで敗れてからちょうど百年……。少しずつ人間達から命を吸い取っていたけどそれも今日で終わり。これで、貴方から命を吸い取れば、私は完全に復活出来るのよ」
「……つまり貴女は、貴女自身がおっしゃっていたこの教会の神父に遠い昔敗れた、という事ですか?」
 自分の下から聞こえてきた柔らかな声に、カタリナも天使の様な優しい笑みを浮かべて答える。
「ええ、そうですわ。ですから、最後の百人目は同じ聖職者にしようって心に誓っていましたの。生憎と、仇は死んでしまっていましたから……。貴方がこの村に来て下さって、本当に助かりましたのよ?」
「それは――最大の判断ミスですね」
 ――かちり。
 小さな、音。
 何処から取り出したのか。ノエルの左手には、小型の銃が握られていた。
 銃口が、心臓の位置に押し当てられる。自分の置かれている状況を理解して、カタリナの余裕の笑みが一瞬にしてかき消えた。
 対照的に、ノエルが浮かべた表情は正に仕事モードと言ったところの会心の微笑み。
「僕は、とっくのとうに破門されているんですよ」
「貴様――ッ!!」
 カタリナに皆まで言わせず。
 ノエルは躊躇わずに引き金を引いた。
 ドォンと腹の底に響くような低く重たい音が、地下聖堂内に響き渡る。
「しかもね。破門の理由は悪魔と契約した為・・・・・・・・。破門どころか、大司祭から賞金まで掛けられてんのさ」
 言いながら、ノエルは立ち上がる。
 カタリナの左胸には、大きな風穴が開いていた。ひざまずいた姿勢のまま、覚束無い視線が彷徨い、傍らに浮ぶシィラを経由してノエルが手にした銃の上でそれは留まる。
 信じられない、というように血の気を失いつつある唇が動いたようにも見えた。
「……悪魔と……。そうか、それ・・、は……」
「そう。”記録から消し去られた”古代武器ロスト・ウェポン、シィラ、さ」
 悪魔お仲間さんなら、聞いた事ぐらいあるだろう?
 神殺しの武器と呼ばれ、記録から抹消された、魔の力を振るう古代武器ロスト・ウェポンの存在を。
「……確かに……私の、判断ミス、でしたわね……」
 諦めたような微笑を唇に浮かべ。
 さぁっと、彼女の身体が細かな灰になって崩れ落ちた。
「そーよそーよ、判断ミスなのよぅ!アンタ如きがあたしのノエルに手を出そうなんて〜」
「だからな。その”あたしの”って何なんだよ。勝手に人を所有物にするなといっつも――」
 ぶつぶつ文句を言いながら。
 床に落ちたままの聖書を拾い、それを開くとあろう事かその中に銃――古代武器ロスト・ウェポンをしまい込んだ。
「……それ……。いつ見ても冒涜だと思うのよね、流石に」
「俺に言うなよ。見つけた時からこの状態で仕舞ってあったんだから」
「うん。ノエルの家系、疑っちゃうわ」
「まー確かに……裏はかけるんだけどなー……」
 神父の衣装に身を包み、人と接する時は仕事モードの人当たりの良さそうな笑顔に穏やかな口調。そんな人間が手にしている分厚い聖書の中に、古代武器ロスト・ウェポンなんて物が仕舞われているなんて、誰も予想しないに違い無い。そんな可能性まで想像するヤツなんかがいたら、余程の心配性か妄想癖のある人間か、もしくはおっそろしい程の疑心暗鬼に陥ってるヤツぐらいなんじゃないかとノエルは思う。
 そう思いながらも、多少は後ろめたさがあるのだろう。苦笑を浮かべて言ったノエルに、あ、とシィラは短く声を上げてノエルの前に回り込む。
「ノエル。さっきの狸寝入り、あたしまで騙そうとしたでしょー。すっごいすっごい心配したんだからねっ」
「敵を欺くには味方から、さ」
「……馬鹿ぁっ!!」
 もう、すっごくすっごく心配して、生まれてから今までこれ以上無いってぐらいに心配して、それで、それで――。
 だって、ノエルが負けるって事は、どう頑張ってもあたしの力ではアイツに敵わないって事だから――。
 頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いたシィラを、そっと両手で包み込むと静かに自分の左肩に乗せ。
「ま……何か美味いモンでもおごるからさ。機嫌直せよ。二百Gとは行かなかったけど、前払い分はしっかり頂いた事だし」
「え、ホント!?だからノエルの事だぁい好きっ!!」
「ホントホント。シィラの分なんて、金掛からないようなモンだしな」
「……その、一言多いのだけ何とかしてもらえれば、もっともっと好きになれると思うんだけど」
 心底呆れたような口調で、シィラが呟いた。

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