……ったく。
 こんな仕事、受けなきゃ良かった。
「って……ノエルがほいほい受けちゃったんでしょォ?」
 耳元で、呆れたような少女の声が響く。そちらの方を見る代わり、ノエルと呼ばれた人物は小さく舌打ちをした。
「だからよ、勝手に人の頭の中覗くのやめろよな。一応俺は、お前の”マスター”なんだろ?」
「そうだよォ。だからさ、余計に慎重な行動を取ってもらいたいワケなのよね、あたしとしては」
 ホンットに久しぶりの”マスター”なんだからさ。
「そォーんな貴重なヒトに、こんなところでぽひゃっと逝ってもらっちゃ困るのよ。分かる?この、あたしの苦悩」
「……分かるか、そんなモン」
 ぼそっとまるで拗ねているような口調で呟き、ずっと同じ体勢でいたために凝り固まっている腰や腿を揉み解した。
 それを見て、少女が一言ぽつりと呟く。
「……じじくさ」
「……ッ!しょうがねぇだろっ、他に隠れる場所が無かったんだからよ。ンだってこんな中途半端な大きさしてやがるんだよ、ここは」
 思わず怒鳴り出しそうになったのを必死で堪え、ノエルは辺りを見回した。
「……無意味にだだっ広いクセしやがって、もーちょっと隠れ易い場所でも作っとけってんだ」
 もうかれこれ三時間も中腰の体勢のまま、張り込みを続けている所為だろう。かなり無茶な事を言っている。
 彼等がいるのは、どうやら教会の大聖堂のようだった。
 こういった場所に有りがちなステンドグラスやパイプオルガンは一見見当たらない。それどころか、長椅子や教壇の上にかなりの量の埃が積もっている事からして、長い間使われていないか、それとも余程寂れているかのどちらかだろう。
 そんな場所だが、教会の聖堂の中だけあって見通しはかなり良い。いくら夜だと言っても、こちらの姿を見せずに教会の中を監視出来るポイント、というのは難しい条件だった。結局見つけたのは、二階へと続く階段の脇だったのだが、階段はほとんど物置場と化しており、小さな子供がやっと入り込める程の僅かなスペースしか無い。いくら小柄だと言っても、ノエルは立派な成人男性である。そんな小さなスペースに無理矢理入り込んでいるワケだから、辛い中腰姿勢のまま監視し続ける、という羽目に陥ったわけなのだ。
 真夜中の、寂れた教会。
 はっきり言って、かなり怖い。
 こりゃー確かに、何か出てもおかしくない雰囲気だわ、とノエルはため息をついた。
「シィラはいーよな。狭くたって、関係ねぇもんな」
 腰を押さえつつ、自分の肩に座っている少女の方へと視線を動かす。少女はちょっと小首を傾げ、背中から生えた半透明の羽を静かに動かすと、ふわりと空中に浮かび上がった。
「何よぅ。グチ?そんな事言ったって、仕事場の下調べもしないで勝手に依頼受けちゃったのはノエルでしょ?あたしに当たらないでよ」
 口を尖らせて言う少女の身体は、三十センチ程しか無かった。半透明の羽と言い、身に纏っているヒラヒラした衣服と言い、まるで妖精のような印象を受ける。
 少女は、ノエルの目の高さまで音も無く飛び上がると、彼の金色の瞳を覗き込みながら言う。
「大体、ノエル今回おかしいよ?いつもならちゃんと下調べぐらいはするじゃない」
「……シィラ。身体の大きさが違うと、まず何が違うか、分かるか?」
 唐突に真顔で聞かれ、シィラは「へっ?」っと間の抜けた声を出した。ノエルはそんな彼女をじっと見つめたまま(もし、普通の人間並みの身長があれば、肩を抱いていたりしたかもしれない)滅多に見られない程の深刻な表情を声音で言葉を搾り出す。
「人間はな……。お前の何倍も食わないと生きていけないんだよ……。そして、食う為には先立つモノが必要なんだ……。分かるよな?」
「……つまり」
 ふっと目を逸らしたノエルの正面に回り込み。
「お金が無いって、事なのね……」
「……な、何だよ、その哀れんでるよーな視線はっ!万一、俺が飢え死にでもしたらお前だって困るんだろっ!?」
「そりゃー、そーだけど……。何でも屋トラブルハンターの名前が泣くわね……」
「別に、泣くような名前でもねぇと思うけどな」
 言ってしまって開き直ったのか。しれっとそう言うと、狭い物置の中で小さく身体を捻り、体勢を整えた。
「この話はここまでだ。やァっとお客さんが到着してくれたみたいだぜ」


 ノエルの言った通り。
 静かな聖堂内に、錆付いて軋んだ耳障りな蝶番の音がゆっくりと響き渡った。


 その後に聞こえてきた足音は、複数。
 ノエルは姿勢を低く保ち、近くの椅子の陰へと静かに移動した。その際に、さっきから悲鳴を上げている腰がぎしっと言ったような気がしたが、まぁ聞こえなかった事にする。
 椅子の陰からそぉっと顔を出して、通り過ぎて行く足の本数を確認したところ、どうやら今入ってきた人間の人数は四人。四人とも男だろうとノエルは見当を付けた。
「――ッ!!」
 耳元で、シィラが息を殺して悲鳴を上げた。
「……シィラ……?」
「ノエルぅ……。今ね、今ね……」
 シィラの声は、小さいが高い。トーンを落として話していても、静かな聖堂内では充分に響いてしまう。ノエルは相手に気が付かれないかどうかハラハラしながら、シィラに続きを促した。
 彼女は、珍しく見せた狼狽を押し込め、言葉を続ける。
「……男達は四人よ。それは間違い無いわ。けど、けど、他にね……」
「他に?」
「……男達が運んでたの、カタリナさんだったの……」
「……ッ!!ンだってっ!?」
 シィラが口にした名前。
 それは、ノエルに依頼をした依頼人その人の名前と同じものだった。




 時は半日ほど遡る。
 ちょうど、太陽が一番高い位置に昇っている頃。
 ノエルの前には良い香りを漂わせている紅茶が置かれ、シィラはシィラで、小さくカットしてもらったお茶菓子にありついていた。
「……それで、僕に教会に取り憑いた悪魔を祓って欲しい、と」
「『僕達』でしょ?」
 シィラの突っ込みをさらりと無視して紅茶を一口。
 テーブルを挟み、不安そうな表情を浮かべて座っている黒髪の女性へとシィラにはほとんど向ける事の無い、柔らかな視線を向けたままだ。
 ――仕事モード。
 ぼそっと心の中でのみ呟き、シィラはお菓子を食べるのに専念する事にした。半分、自棄食いも混じっている。
 キレイな女の人だから、余計なのよね(偏見)。
 長い綺麗な黒い髪。髪と同じ漆黒の、憂いを帯びた瞳。その黒と正反対の真っ白な衣服が華奢な身体を包んでいる。水仕事なんてした事が無いんじゃないかと思える程に白く、細い指を膝の上で組み合わせて座っている姿は、不安のためか緊張のためか、彼女を余計華奢に頼りなく見せていた。
 ……ノエルの本性、バラしてやろうかしら。
 ふと、そんなイジワルな考えが頭を過ぎる。気がつけば、お菓子を食べる手も止まっていた。
 そんな、シィラの複雑な気持ちなど知らぬまま、話は彼女に構わずに進んでいた。
「しかし――。僕には悪魔祓いの経験はさほどありません。少し時間が掛かっても、誰か、経験のある方を呼んで来てもらった方が確実なのではありませんか?」
「……その、時間が無いのです」
 依頼人、カタリナ=デュースは擦れた声でそう告げた。
 おうむ返しに問い返したノエルに向かって、弱々しい微笑を見せる。他に、どういう表情をしたら良いのか分からないから、とりあえず笑っておこう。そんな気持ちが、ありありと分かってしまう辛い笑みだった。
「悪魔は、夜毎やって来ては、村人を連れ去ってしまいます。時間を掛ければ掛けるだけ、被害者が増えてしまうのです。それが分かっているのに、時間を掛けるわけにはまいりません」
「夜毎……ですか。それにしては、この村はそれほどパニックに陥ったりしていないように見えるんですが」
「嗚呼……。もう皆さん、諦めてしまっているんです。この村はもう、お終いなんだ……って」
 でも、私は諦めるわけにはいかないんです、とカタリナは強い決意を込めた口調で言う。
「今、悪魔が根城にしている教会は、私の家でした。私の父は、神父だったんです」
「……つまり、お父さんは……」
 カタリナは無言で頷いた。黒真珠のような光沢を持つ綺麗な髪が、さらりと揺れる。
 少しの沈黙の後、カタリナが口を開いた。
「その格好……。貴方は、神に仕える方だと推測します。もし違うのなら、この話は聞かなかった事にして、夜が来る前にこの村を立ち去ってください。そして、今ここで見聞きした事を、全て忘れてしまってください」
 ――そんな事言われて、はいじゃあさようならって立ち去れるニンゲンなんてそうそういるわけが無いじゃない。
 お菓子は美味しかったけど、何となくこのオンナ気に食わない、とシィラは思う。
 なーんか悲劇のヒロインぶっちゃって、アンタ、オトコにはどーか知らないけど、オンナには好かれないタイプよね、とぶつぶつ口の中で呟いた。
 案の定。
 その『オトコ』であるノエルは、傍らに置いてある聖書に振れ、一度目を瞑ると「僕でよろしければ」と静かに答えを出した。それを聞き、シィラは聞こえないように小さくため息をつく。
「ただし。条件が、あります。僕は、確かに聖職に就いていましたが、今は訳あって各地を旅して回り、こういったトラブルを解決する事で生計を立てています。ですから、このお話は慈善事業ボランティアでは無く、何でも屋トラブルハンターへの依頼、という風に受け取らせて頂きますが、それでも構いませんか?」
「……お金の、事、ですか」
「ええ。そういう事になります。あ、でも、別にそんなぼったくろうなんて気はさらさら……」
 肯定しながら慌てて弁解を付け加えている。弁解に夢中なのか、シィラがじとーっと冷たい視線を向けているのにも気がつかない様子だ。
 カタリナは少し考えた後、小さく呟いた」
「……相場が分かりませんが……二百、ぐらいまでならお支払い出来るかと……」
「二百シルバー。ええ、それで構いませんよ」
「いえ、ゴールド、です」
「「ゴールドッ!?」」
 それまでしらーっと成り行きを見守っていたシィラも、思わず一緒になって叫んでしまった。それ程、彼女の示した額は大きかったのだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください。二百Gと言ったら、屋敷が一軒丸々買えてしまう程の金額ですよっ!流石に、そんな大金を頂くわけには……ッ」
 このお嬢さん、世間知らずにも程がある。
 ノエルがそんな事を思いながら頭を抱えたくなっているとは露知らず。カタリナは断固として首を横に振った。
「いえ、あの悪魔を祓ってくださるのなら、それだけの価値はあります。それこそ、お金になって変えられないぐらいの価値が……」
 思い詰めた顔をして言う依頼人に、ノエルは苦笑を浮かべてこう言った。
「それならこうしましょう。とりあえず、前金で二百S。依頼が成功してここに戻って来たなら、残りはその時に戴きます。それで、よろしいですね?」
「ええ……」
 カタリナの首が縦に触れたのを見、ノエルはほぉっと安心したようにため息を吐いた。それをシィラが不思議そうな顔をして見つめていたのだが、構わずに次の質問を依頼人へと投げ掛ける。
「決まり、ですね。それでは早速仕事の話をしましょうか。その教会とは、一体何処にあるんです?」


 カタリナに教えられた通りの道筋を歩き、件の教会へと向かいながら、シィラはきょろきょろと辺りを物珍しそうに見回していた。
「……ねぇ〜。見たところ、カタリナさんが言うような事になってるように見えないよねぇ〜?」
「まぁ、な。ちょっと元気ねぇように見えるけど、それだけだよな」
「あ。仕事モード終了〜」
「ンだよ、仕事モードって」
「ノエル、他の人の前だとキャラ変わるじゃない。人当たり柔らかくなるし、言葉遣いあっからさまに変わるし。だって、『俺』が『僕』になるんだよ?」
 ああ、と、ノエルは呆れたような笑みを浮かべた。
「教会にいた時のクセが抜けてねぇんだよ。あそこにいたときゃ、常に自分を隠してたからな。仮にも、次期大司祭様が、こんなんじゃ困るんだとよ。だから未だに、他人と接する時はなんつーか、自分が出せないって言うか……」
「とか何とか言っちゃって、その方が依頼を受ける時にも都合が良いんでしょ。人当たり良さそうに見えるからさ」
「……ったく、あんまり人の頭ン中読むなよな。読まれすぎて何か後遺症でも出たらどーすんだよ」
「読んでないもん!純粋な推理だもん!……って事は、図星だったんだー」
「……当てても、何も出ねぇぞ」
 ぼそっと吐き捨て、さっさと早足で歩いて行くノエルを飛んで追い掛けながら、「何も出ないと言えばさ」と別の話題を持ちかけた。
「さっきの報酬にはびっくりしたよねー。二百Gなんて大金、見た事あるぅ?」
「ある」
 ぴしゃりとした口調で即答だった。
 お陰で、それ以上話が続かず、それからしばらくは二人とも黙ったまま黙々と進む羽目になったのである。
 何処となく気まずい雰囲気を感じ取りながら、あたし、何か悪い事言ったかな、と自問してみたり。いくら考えても、それをそうだと肯定してくれるような答えは出ない。
 そのままどれだけ歩いただろう。ノエルがふと足を止め、肩ぐらいの高さにふわりと浮ぶシィラの方へ視線を向けると、それまでの空気を吹っ切るかのように話し掛けた。
「ま。乗り掛かった船だ。二百Gなんて大金、自分の手で掴んでみるってのも悪くはねぇ、かな」
 よりにもよって今日、この村に来ちまったのがそもそもの不運なんだし。
 それぐらい、デカい報酬じゃねぇとやってられねぇよな。
 そう言って。
 彼は、目の前にそびえ立つ建物に鋭い視線を投げ付けた。

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