本日の依頼人様。
麓の街にお住まいの、なんだかとても偉そうな御貴族様。
琳はわずかに目を細めて彼らを迎え入れる。
はてさてこんな山奥の小さな庵まで来るなんて、御貴族様が何のようだろう。
暇な村人のように、『道士』が見てみたかったなんて理由ではないとは思うけれども。
一方相手のほうは、呼ぶ声に姿を現した琳に面食らったように瞬いている。
そりゃそうだろう。
見目麗しく、不思議の術を駆使して依頼人の願いを叶えると言われる『道士』をたずねてやってきて、琳のような筋骨隆々とした大男が出てきたら誰だって驚く。
「これはこれは旦那様、なんの御用で?」
にっこり、と琳は最初一瞬だけ浮かべた疑惑の眼差しを嘘のように消して人好きのする笑みを浮かべてみせた。相手の警戒心を解くような柔らかな笑みだ。それと同時に袖を落として着ていたいた衣を持ち上げ袖を通す。今までは部屋の大掃除をしていたのだ。この庵の主は四角い部屋を丸く掃くどころか、掃くことそのものを知らないような節がある。何の用であれ、客人が掃除がある程度片付いた頃に来てくれて本当に良かった。確かに摩訶不思議な術によって不老不死に限りなく近づいた道士相手に不衛生が何たるかを説いても無駄かもしれないが、その客にとってはきっと大問題だ。訪ねた道士がゴミに埋まっていたらさすがに嫌だろう。
ほどよく生活感をかもしだしつつも、綺麗に片付いた部屋を見渡してうむ、と満足げに琳は頷く。これなら客も満足だろう。
「ではこちらへどうぞ」
男を案内して来客用のテーブルへと通す。
男は物珍しげに辺りを見渡しながら案内されるままに席に着くと、組んだ手の上に顎を乗せた。
そういったポーズが非常に良く似合うあたり、やはりこの男はこうしてテーブルに座ったまま命令することに慣れた人種なのだろう。
そんなことをちらりと思いつつ、琳はお茶を淹れ始めた。
「センセイもそろそろ帰ってくると思うんで少し待ってて下さいね」
「……君は道士ではないのか」
「俺が道士に見えます?」
男は少し逡巡して。
「……いや」
小さく、否定した。
それに対し苦笑いしつつ、琳は良い香り漂う紅茶を相手へと差し出す。
道士に見えないなら何に見えるのか。
そう聞かれたならば答えは簡単だ。
戦士。
それ以外の何者でもない。
身長190センチを余裕で超える長身に、がっしりとした体つき。
こんなところでお茶を淹れてるよりもよほど戦場で馬を乗り回しているほうがなるほど良く似合う。無言ででは君は何者なのだと告げてくるような相手の視線に、薄く笑って。
「笑うかもしれないけれど―――俺、弟子なんです」
無骨な戦士はそう言った。




 弟子にしてください。
そういったときあのひとは露骨に顔をしかめた。
そんな面倒くさいことは嫌だと。
まさにそう言いたげな顔で。
そこをなんとか、と頼みに頼み込んで、半ば無理やり押しかける形で弟子になった。
夜の泉で出会った、誰よりも綺麗なひと。
弟子じゃなくても良かった。
あのひとのそばにさえいられればなんでも。
一目見た瞬間、ひどく惹きつけられたのだ。
その気持ちは決して恋とかそういう類のものではなかったんだと思う。
けれど気がついたら、各国の王が喉から手が出るほど欲しがる百戦錬磨の傭兵であるはずの琳が必死になって自分を売り込んでいた。
だからきっとそれは。
かけがえのない誰かに出会った運命だったのだ。




 あ、帰ってきましたよ。
そんな言葉をのほほん呟いて琳は客人を引きつれ庵を出た。
もちろん、彼の大事な師匠を出迎えるためだ。
この庵は、森の中の少し開けた場所に位置している。
裏手にはもっぱら琳専用のまき割り場と、洗濯場。
弟子というよりもおさんどん色の強い琳である。
全く人の気配のない外から眺める森の様子に、客人である男は訝しげに琳を見る。
一体何を持ってして帰ってきた、などという発言につながるのか。
「ほら、来た」
どこか嬉しそうな琳の呟き。
その目線は森に続く小道ではなく空に向かって据えられている。男はつられるように視線を上にあげて……
「なッ」
絶句した。
真っ青に、晴れ渡った青い空。
その清涼な空気を引き裂くようにこちらに向かって飛来したのは一匹の巨大な獣。
蒼銀、とでもいうのだろうか。
不思議な色合いに煌めく毛並みと、その大きさをのぞけばその生き物は狼に酷似していた。
それも酷く賢い、とびっきりの美しい狼だ。
鉱物のような色を放つ毛並みは触れればとても柔らかで、暖かいことを琳はよく知っている。
呆然とそれを眺めるしかない男を尻目に、琳はその獣の脇に回り。
「おかえんなさい、センセイ」
ひょいと、獣の背から降りた人物に手を貸した。
まず男の目に映ったのはひらりと揺れた漆黒の導師服。
暗い赤で派手じゃない程度にところどころ丁寧な刺繍を入れられたそれは、緑と青を中心にした背景の中一際目立つ。
そして。
とん、と軽い音をたててその道士は地上に降り立った。
琳に比べれば小柄な、それでもまあ長身の部類には入るであろうその体つきに、長くたらされた一筋の黒髪。残りは背中の辺りで綺麗に結わえられている。
切れ長の瞳は闇色。
輝ける全てを飲み込むような、冴え渡る夜空のような。
「客か?」
低くもなく、高くもない声音は、それから性別を読み取ることは非常に難しい。
このひとは、人と神との境界線にあるだけでなく、その他のあらゆる面において境界線に身をおいている。性別不詳の身なりも、声も。その全てがぼんやりとつかみどころなく。
「そう、お客さんですよ、センセイ」
せっかくの客だというのに、琳の言葉にも道士は嫌そうにわずかに眉根を寄せるだけ。
そのあまり良いとはいえない反応に男はあわてたように、依頼内容が成功した暁の礼についてを語り始める。
曰く、金。
曰く、宝石。
曰く、高価な呪具。
それでも道士の眉間の皺はなかなか伸びない。
男の顔が途方にくれる。
なんだか可哀想になってしまって、琳は助け舟をいれてやることにした。
「今日のおやつは甘酸っぱい素敵な野イチゴタルト」
「………」
ちょっと、様子をうかがうように道士の視線が琳の上に流れる。
琳はにっこり笑って。
「一仕事終わった後の甘味は美味しいですよ、センセイ」
むぅ。
道士がうなった。
宝物より金より何より食欲に弱いらしい。
と、いうわけで。
―――琳の師匠である道士は渋々ながら男の以来を受けることになった。

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