男の依頼内容は簡単だった。 ―――駆け落ち同然に結婚した一人娘がどうやら子宝を授かったらしい。 ―――その、祝福がしたいのだ。 今までさんざん、反対してきた娘の結婚。 孫が生まれたからといって今更贈り物をしたところで許してくれないだろう。 また、こちらの『許す』という気持ちも今更生半可な贈り物では伝わらないだろう。 何か良い、今までの隔たりを壊してしまえるような、とんでもない贈り物はないだろうかとの話に。 「度肝を抜く贈り物、ねェ」 ふむ、と道士が細い顎を指でなぞり視線を中に彷徨わせる。 「その孫とやらをそこの不肖の弟子が誘拐し、貴方が取り戻す。娘さんはきっと貴方に感謝」 「センセイセンセイ、俺まだ犯罪者になりたくないですから。っつーかそれのどこがプレゼントですか」 琳のもっともなツッコミに、道士はそれが一番手っ取り早いのにだなんてぶつくさと応じて。 「じゃあ何か適当な天変地異を起こすからそしたら貴方が何かやってそれが収まる」 「それもプレゼントじゃないです」 「ち」 「ち、とか舌打ちしないで下さいお客さんの前で」 なんだか、道士とその弟子というよりも聞き分けのない子供とその保護者という面持ちだ。 道士はぷうと唇を尖らせたまま視線を虚空へと彷徨わせ……何かアイディアを求めるように部屋の中を見渡していたその視線が一点で止まる。そこにあったのは、掃除の末に琳が発掘した古びた花挿し。これまた琳が家事のあいまに摘んできた野原の花が吹き込む風に気持ちよく揺れている。 「―――よし」 何か思いついたらしい。 むん、とやる気たっぷりにうなずき立ち上がった道士はふっと依頼人である男を見やり。 「ご主人、少々お金はかかるが良いだろうか」 「か、かまわないが」 半ば圧倒されたようにコクコクとうなずく男に道士は満足げにうなずき。 まぁたこの人は何をやらかすんだか、とどこか呆れたような顔をした弟子を振り返るとなんとも晴れやかな笑顔で言い切った。 「今度のテーマは酒池肉林だ」 ……だからソレ出産祝いじゃないですってば。 ココロの声は届かない。 平和な、山に囲まれた小さな町。 そこに今起きる、小さな奇跡。 最初は、ふわりとどこからか散った花びらだった。 「んあ?」 つぅと鼻先をかすめて舞った花びらに、人々の視線が空へ向かう。 まるで天から雨が降り注ぐように。 風に乗って純白の花びらがひらひらと風に舞う。 かぐわかしい甘い花の香りは、なんだか人々の気持ちを高揚させる。 そうでなくとも、真っ白な花弁がひらひひらりと宙を舞う様子は遠くに夢見た美しい幻の光景のようで、その美しさに人々はほうと感嘆の息をつく。 その中に、まだ年若い一人の母親がいた。 腕に抱いた子供相手に、空から 降り注ぐ白い花弁を指差してみせる。 まるで狙ったかのように、すぅと白い花びらが一枚その指先にとまった。 摘みたてのように、朝露さえ含んでいるかのような瑞瑞しい白い花弁は不思議なことに指先に触れるとすぅと溶けた。 しっとりと、指先に濡れた感触。 そして甘やかな、良い香り。 どこか、知っているような。 なんだろう。 思い出すより先に答えは遠くで聞こえた。 「酒だ!!」 ああ、これは。 何か特別なときにしか飲めないような、上等なお酒だ。 毎年、自分の誕生日になると父親が好んで飲んでいた。 なんでも、その花びらをとかした水は全てその酒になるらしく、通りのあちこちで歓声があがる。それもそうだろう、こんな上等な酒、庶民はそう滅多に口にすることはできないのだから。 奇跡の花びらはひらひらと惜しげもなく振り続ける。 町中の人間が、水の入ったタルを外に出す。 町中の人間が、歓声をあげてはしゃぎまわる。 タルから組んだ上等の酒を浴びるように飲んで。 まるでお祭り騒ぎ。 子供たちも大人を真似して外を駆け回る。 普段は仲の悪い住人同士も、今日だけは仲良く肩を組んで大声で笑って。 ああ、素敵ね。 そう子供に囁いて、庭から通りのほうへと出ようとしたところで。 いっそう強い花の香りにくらりと一瞬眩暈がした。 思わず目を閉じる。 そして目を開けた次の瞬間。 目の前には遠く離れた隣街に住むはずの自分の父親が居た。 さんざん自分と夫との結婚を反対し、認めようとしなかった父親。 その相手が今目の前で、気難しげな顔をして立っている。 これは……これもこの花の香りによって作られた幻覚だろうか? 呆然と瞬いていると、難しい顔をしていたはずの父親は、どこか困惑した面持ちで腕を伸ばしてきた。おずおずと、拒絶されることに怯えるように。 「……抱かせて、もらえるか?」 それが自分の腕の中に眠る赤ん坊のことをさしているのだと気づいたとき、父親のその顔が照れ隠しであることがようやくわかった。 だから、笑って。 「もちろんですわ、お父様」 遠くの空で瑞獣と呼ばれる蒼龍が踊るように身をくねらせ、再び通りには歓声が満ちた。 「お疲れ様です」 「……………………」 琳の言葉にも道士は無言。 どこか機嫌を損ねたように、先ほどから沈黙を続けている。 その間も二人を背に乗せた蒼龍は睨下の町を祝福するように身をくねらせ、酒花を散らし続けている。 「大成功じゃないですか。あのお客も無事娘と仲直りできたみたいだし」 足元の町では依頼人である男が娘と並んで孫を抱いて幸せそうに笑っている。 「……まぁだ、拗ねてるんですか?」 「…………あの依頼人、最後なんて言ったと思う」 「なんですか?」 まあだいたい想像はつくけれど。 琳は一応聞いてみることにする。 「……あなたのような人が私の息子だったなら、と」 「そりゃすごい褒め言葉じゃないですか」 ふもとの街一番の大金持ちの貴族の息子に見初められるなんて。 いっそ養子入りしたら、だなんて軽口はこちらを睨み付けてくる瞳の強さにむぐむぐと口の中で消えた。それでもなお拗ねたように沈黙を続ける華奢な相手の腕を捕らえて。 大きな身体で包み込むよう抱きしめて。 「アンタが可愛い女のコだってことは俺だけが知ってりゃ良いっしょ?」 出会った瞬間、どうしようもなく惹きつけられたのは。 きっと運命の人に出会えたから。 「離せ熊男ッ!!!」 こうして今日も、傭兵あがりの弟子に体術では全く敵わない道士の怒声が空に響く。 |