■ とある羊飼いの魔術修行日記 ■

 馬鹿馬鹿しいことだけれども、時にはその形式が必要になることがある。
 空賊一家ウィルナー家のしたっぱ、亜麻色の髪に夏の空をうつしだしたような紺碧の瞳のパリーは、金色の髪をした青年を相手どり、十分ほど前から奮闘していた。
「いいかい!? たとえ君が見た目を気にしないんだとしてもだ! 世間の人は気にするんだよ。どんな服を着ているのか……着ていないのか。とーーっても、気にするんだ。君は馬鹿馬鹿しいかもしれないけどね! そういう形式っていうのはあるんだよ。頼むからじっとしていてくれ!」
 まぶしいほどの金髪で、大きな街の大通りでも歩けばたちまち熟女から流し目と寝台のお誘いが両手に抱えきれないほど降ってきそうなハンサムで、しかし薄手のぼろぞうきんのような布地しか身にまとっていない外見年齢二十代の青年はちらりと眉をあげると、しぶしぶのように体から力をぬく。
 パリーはほっと息をついた。


 さて。
 どうしてこんなところでパリーが美形の野郎なんぞに服なんぞ着せているのかといえば。
 事の発端は空賊一家の総領ならびにその世話役が、こともあろうに稼業に大失敗してしまったことに遡る。
 猫の毛皮のような、ブルーグレーの髪。角度によって灰色にも青にも紺にも見える不思議な色のかみ。それが空賊ウィルナー一家の二代目頭、シェリーの特徴だ。
 空賊というのは呼んで字のとおり、空に浮かぶ盗賊のことをいう。ときどき海賊と間違える人間もいるが、そっちの海賊とはきちんと協定結び、互いの縄張り守って友好関係を結んでいる別物だ。
 空に浮かぶ船と雲。地上の景色はミニチュアパノラマ、薄い空気、地上の人間なんて胡麻粒ほどにも見えやしない、高度数千ポルーンの空……! それが空賊の寝床であり生きる場であり、愛する故郷なのだ。
 しかしその二代目棟梁のシェリーはある日、稼業で大失敗をやらかした。
 いつもの通りに裕福そうな商船を航路に見出し、改造を効かせた特別の馬力で逃げる船に追いすがり、虎の子の一門ある大砲は現在故障中、甲板には白兵戦用の人間がずらりと整列し、さあ乗り移ろうかというときに!
 商船が火を吹いたのだ。
 と同時に叩きつける高度数千の豪風のなか、ありえないはずの声がはっきり聞こえた。
「他人を傷つけ、物を奪って生計をたてる吸血鬼め! その悪行三昧もこれまでだ!」
 ───魔術師だ!
 風をあやつって声を届け、火を操る。
 あやかしの力を持ち、人知を超えた現象を自在にふるい、杖の一振りで業火を放ち、国一国すらのみこめる濁流を単身とどめ、遠く大陸の果ての現象すらも見聞きし、一夜にして山をつくる、(まあこれは誇張のきいた表現だが……)あの、魔術師。
 パニックになりかけた船内を整然とした声が走り抜けた。
「全力で180度回頭! 回頭終了しだい、全速前進! 離脱する!」
 さすがはボス!
 船内はそれでピタッと嘘のようにしずまって、吹き付けられた火の始末をする者、船の舵のことをする者に自然に分かれて作業を行った。
 魔術師のことは、こういう稼業をやってる人間たちは「年に一度ぶつかるか否かの災厄」扱いをしている。
 こいつらからはとにかく逃げるのが吉。
 逃げの一手あるのみだ。
 攻守どころは交代し、今度は追うのはアチラ。逃げるのは空の世界で鳴らした空賊一家ウィルナー家。
 命懸けの追いかけっこのはじまりだった。
 さっきまでの速度は見せかけだけだったようで、商船はぐんぐん追い迫ってくる。しかしウィルナー家だって伊達に空で名をはせちゃいない。
 気流を読み、雲の中に身を隠し、たくみに風上へと船をまわして風にあわせて香辛料をばらまく。
 命懸けの鬼ごっこがようやく終了したのはその日の夜のことだ。夜になったらさすがにどんな船でも暗闇に沈んで追いきれない。
 だから海戦でも何でも、「夜になったら一旦停戦」というのが不文律だ。それこそ、相手の船に乗り込んで白兵戦のさなかでもなければ、それは守られた。
 そんなわけで夜の内になんとか命からがら逃げ出したウィルナー一家は、その日の夕食、陰鬱な顔を見合わせていた。
 何度か炎の襲撃をよけそこない、今では消し止めたものの、マストが数本倒れるわ、帆は焼けるわ、火傷のけが人が続出だわと、ひどい目にあったのだ。
 滅多にない、手痛い敗戦だった。
「ちくしょう、あの魔術師め!」
「次会ったらたたじゃおかねぇ……! ワイスの右腕の仇を取ってやるぜ!」
 特にこの間父親のあとをつぎ、頭領になったばかりのシェリーにとっては、初めての敗北である。
 青銀のシェリー。そう言われるようになるグルーグレイの髪の盗賊頭は、がっちりした体格をしていた。
 顔は線がほそく、女といっても通用する端整な顔立ちをしていたが、首は太く、筋肉の筋が浮き上がっている。肩もあり、肩幅も広い。首から胸にかけてを完全に覆う衣服を着ているかわりに両腕は袖なしのノースリーブで、剥き出しの二の腕にはみっしりと筋肉がついていた。
 そんなシェリーは、実は男ではない。男以上に剣をつかう、先の頭領の「一人娘」なのだった。
 彼女はむっつりと沈黙していたかと思うと、口を開いた。
 そして、彼女の傍らに彼女が三歳のときから一緒にいる幼馴染……というより世話役を指差して言ったのである。
 ───パリー。魔術師になってこい。


 世の中には、空から降ってきた空賊の落し物や、雹や、石に打たれて死ぬ人がいるという。
(オレはひょっとして、それと同じぐらいに運が悪いかも知れない……)
 船の上においては、船長の命令こそが法律である。「そんな無茶な!?」と暴れて抵抗するパリーは仲間の荒くれ男にお縄にかけられ、救命用のバルーンおよび当座の食料、路銀などを持たされた上で、船の上から蹴っ飛ばされたのである。
 高度数千からの落下。
 命でもかかっていない限り、二度とやりたくねぇ……、と思い出しただけで涙ぐんでしまうような体験だった。
 しかもそれだけの高度だと、目標地点にすんなり立てることはまずありえない。たとえその真上で落としたとしても、風で必ず流される。
 そして、地上に風がないときはあっても、それだけの高度の場所に風がないということは、ない。
 彼は魔法王国と呼ばれる地上で唯一の魔術師の生産地の首都めがけて落とされたが、風で流され、たどり着いたのは同じ国とはいっても辺境も辺境の……羊の上だった。
(あの時羊がいなければ、確実に死んでたよな……)
 実際、かなりやばい状況だったのだ。
 いくら救命バルーンといっても、数千の高度から耐久実験した人間はいない。
 ……してくれよ、と思うのだが。
 パリーは強風に揺さぶられながら落下していった。そりゃあもう、どんなにスリリングな空中遊覧車でもこうはいかないというぐらい、上下左右お構いなしに揺れたのだ。
 それでもそれはまだ良かった。
 心底血の気が引いたのは、バルーンの風船をつくる竜骨が折れるのを聞いたときだ。
 バルーンが無くなれば、こんな高さから落ちた人間には馬車に轢かれたカエルと同等の運命が待っている。
 随分落ちたといってもまだ高度は相当ある。
 その巨大な空間を、きりもみ状態でパリーは落ちていった。
 手足をばたつかせても、当然のことながら何にも触れない。
 絶対死ぬ───っ!
 そう確信したとき、さまざまなことが脳裏をよぎった。走馬灯のように人生を追憶していく。そして最後に残ったのは、「魔術師になれ」と言った、シェリーの顔だった。
 幼馴染とはいえ、片や次期頭首。片や単なるしたっぱ。
(ずいぶんいじめられたっけなあ……)
 ああどうか。
 あの意地っ張りで口が悪くて、でも心根は決して残酷でも悪くもない彼女が、俺なしでも誰かと揉め事起こしたり、かっとなってすぐに喧嘩を売ったり買ったりせず、やっていけますように───。
 死に際に他人の無事をいのる、その健気な心意気を神様が聞き入れたかどうかは知らない。
 しかし、奇跡は起こった。
 ばふん、ばふん、ぱん。
 見開いた視界に、一片の雲もなく、青い空。
 そして全身打撲の痛みを感じながら、その空を区切って誰かの顔が視界に入った。滅多に無いほど鮮やかな金色をした頭である。
 彼は密集した羊の上に仰向けに転がっているパリーに話し掛けてきた。
「君の名は?」
「……パリー」
 ───それが、この青年との出会いだった。


 青年はパリーをやすやすと抱えあげると寝台に運び、痛みにうめいているパリーにスープを持ってきてくれた。
 ───質素というにもはばかりのある、単なる水にそこらの葉っぱを浮かべただけのものだったが、それを黙々と青年が飲んでいるのを見ては、文句も言えなかった。
 たぶん、これが彼の毎日の食事なのだ。
 見れば家は廃屋同然だった。
 もしくは、作りかけで放置されたものか。
 部屋はパリーが寝ている一室だけで、四隅の一辺には壁がなく、高度の高い土地のふきっさらしの風が無遠慮に入ってきて、パリーを骨から震えさせた。  見れば着ているものも、下の下の下。
 よくまあこんなひどいものを着ていられるというものだった。パリーなどにはこんな服を着ている人がいるのだという想像すらしたことがないような代物だ。乞食のほうが、はるかにマシだった。……たぶん、そこらに落ちている布きれや、雑巾を、彼はくっつけたのだろう、しかしそれでも足りないから拾ってきた大きな葉っぱで隙間を埋めて、そして服に仕立てているような按配だった。
(この人は……とても貧しいんだな……)
 寝台はひどく固かったが、パリーは文句を言う発想も持てなかった。
 青年は冷たい石の床に直に寝ているのだ。
 パリーは少しでも早く寝台を受け渡そうと、その味も素っ気も栄養もあるのかどうか怪しいスープをがんばって飲み干した。
 そして青年を見つめる。
「……あの、ありがとうございます。あなたの名は……?」
 せいいっぱいの感謝を込めて見つめる。背中にくくりつけておいた荷物の中には財布もある。探せば民家だってあるだろう。貧しい羊飼いの彼に、せめてきちんとした防寒具と衣服と、そして食料を感謝のしるしに渡そう───と思っていると、青年は答えた。
「私の名前はありません。私は羊です」
「はひ?」
 パリーはとても変な顔になった。傍らで見ている人間がいれば、吹きだすこと間違いなしの。
 しかしこの場にいる他人は青年だけだったし、青年はパリーを助けたときからまったく変わらない生真面目な真面目くさった表情で見ている。
( 羊……って羊か? 羊(ムートン)か?)
「あ、ああ、なるほど、ムートンという名前なんですね?」
「いえ。私は羊です」
「……」
 再びなんとも言いがたい表情になったパリーだった。
 たいへん失礼なことだが、この人は頭がおかしいんじゃないかと考える。
「人間の特徴の一つにして最大の美点は疑うことです。あなたも例に漏れずそのようなお人のよう。お話ししましょう。できれば私にも貴方がどうして天から降ってきたのか、お教えいただけませんか。天人よ」
 パリーはずっこけそうになった。
 寝台に寝ていたためにそんなことは起こらなかったが、それに近い心境であったことは確かである。
「オレ、パリーって言います。助けていただいて、ほんとうにありがとうございました。ですが───オレは天人なんかじゃありませんってば!」
 パリーは亜麻色の髪と紺碧の瞳を持つ、ごくありきたりの人間である。……と、本人は思っていた。
「では、どうして天から降ってこられたのですか」
「……わかりました。説明します」
 一瞬で覚悟を決め、パリーは説明することに決めた。別に、秘密にしなければならないような事でもない。飛空船のヒの字もしらないこんな辺境の人間が天から人が落ちてくるのを見れば、そりゃあ天人と思うのも無理はなかった。
「……なるほど。空をとぶ船……、そんなものまであるのですね」
「ええ。オレはたまたま、そこから落ちちゃったんですよ」
 ほんとは突き落とされたのだが、それは言わないでおく。
「私はあなたが落ちてくるのを見て、急いで落下地点に羊たちを集めました」
「ああ、だから───あんなにたくさんの羊が一箇所に集まっていたんですね」
 最初の羊の上に落ちたパリーはバウンドした。その次に落ちたところがもしも固い地面の上だったら、ただじゃすまなかったところだ。
 自分で確認したところ、骨折は一箇所もない。痛みはひどいが、全部打撲だ。
 二重の意味での恩人に、パリーは素直に感謝の眼差しを注いだ。
「では、私が羊であるという経緯を説明しましょう。──私は羊でした。この野山をかける野性の羊であったのです。しかし、気がついたら私は人間になっていました」
「……ひつじ、がにんげんに、ですか」
「はい」
 何の気負いもなく頷く青年を、パリーはまじまじと見つめた。───見つめざるを得なかった。
 よくよく見ると、青年は際立った容姿をしていた。それも、面鎧をつけ、白馬にまたがればさぞかし絵になるだろう、という気品と力強さをあわせもった騎士風の顔立ちだ。
 金髪碧眼。ここまで純粋な金色の髪を見るのも初めてなら、こうまで表情の変化に乏しい人間もはじめてである。動物は表情の変化が乏しいというが……。
 パリーの常識では、動物が人間に変わることなどありえない──はずだった。
 しかし土地が変われば風俗も常識も変わる。空賊一家ウィルナー家の一員として、世界を駆け巡ったパリーはそれぐらいは知っていた。
 世の中には、手を握ることが求婚の申し出である土地だってあるのだ。魔法王国といわれるこの国では、動物が人間に変わることだってアリかもしれない。
 パリーはそのときあることに気づいた。
「あの、それにしては言葉が……」
「羊が言葉を使わないというのは人間の最大に愚かしい思い込みです。羊は人間が思っているよりよほど賢いのですよ」
「……えーと。その服は……」
「昔ここに羊飼いが住んでいました。この建物も、この服も、彼がここへ置いていったものです」
「は、はあ……」
 もはやどうしたらいいのか判らず、俯く。
 言葉の接ぎ穂がなくなった空気の助け手となったのは青年だった。
「あなたは先ほど魔術師になるために首都へ行くとおっしゃいましたね」
「はい」
「私もつれていってください。私がこんな不細工な姿になってしまったのはたぶん人の魔術師のせいでしょう。私は羊に戻りたいのです」
 ……この、誰が見ても美形の青年に真顔で「羊に戻りたいのです」と言われると、インパクトが大きいなあ、と思いながら、パリーは言った。
「あてもない旅になりますけど……」
「かまいません。私は早くこの見ただけで醜さに目が痛みを訴えるような姿から抜け出したいのです」
 パリーは聞き返した。
「……醜い?」
「はい。この上なく。まるでできそこないのように皮膚はつるっとしていますし、唯一ある毛も量がたりませんし、カールがたりないどころか、そもそも巻き毛ですらありません。しかもこの毛は妙につるつるしていて、さわってもぜんぜんふわふわしてませんし、暖かくもありません。なにより角がありません」
(……羊に人間と同じ美的基準を求める方がおかしいんだな)
 パリーは納得したが、まだ連れて行くとは決めていない。
「あのー、でも……」
「お願いします。あなただって突然羊に姿を変えられてしまったら困るでしょう」
 う。
「……困りますね」
 パリーは深く納得してしぶしぶ頷く。
 お人よし、の烙印がしっかりはっきり骨の髄まで染みこんでいるパリーには、命の恩人の羊の言葉を退けることはできなかったのだった。
 そうして話は冒頭に戻るのである。
 いくらなんでも今の服装は、乞食には最適だろうが人の間を旅するにはあんまりにも悪い意味で目立ちすぎた。
 だから痛みが鎮まったあと、パリーは近くの民家まで下りて(往復で丸一日かかる距離だった……)服を買い求め、青年に着せ掛けようとしたのであるが、青年はその服を拒絶した。
 羊である彼には服は忌まわしいものに見えるらしい。ただ、毛のない素肌はいくらなんでも寒くて仕方がないので、たまたま見つけた薄手の服を一枚着て、それでこの寒冷な気温のなか生活できるというのだ。
 高地にあるここでは服なしだとちょっとつらいが、ふもとまで下りれば、たとえ裸であっても大丈夫。そんな頑丈な体の持ち主は「裸でいいじゃないか」と言い張った。
「いーから着てくれっ。この気温でそんな格好していたら、人目を引くんだよ、もうどうしようもなく!」
 高度数千の世界は寒さで言ったらこの高地より寒い。
 だからパリーはしっかりと防寒対策をしてあったが、そこにシャツ一枚で人が歩いていたら……。
(絶対、目立つ)
 思わず断言してしまうパリーだった。
 ただでさえ、羊だという彼は羊の美的感覚ではともかく、ヒトとしてはとてもハンサムな顔立ちをしているのだ。
 第一、この服を手に入れるために山道を往復した自分の努力はどうなる!?
 パリーが説得すると、青年はしぶしぶながらも納得してその服を着込んだ。
 パリーは距離をあけてその姿を点検し、万全だという結論に達した。
「何か持っていくもの、あるかい?」
「ありません。強いて言えば、最後に、この土地にしか生えない美味しい草を食べていきたいのですが」
「───頼むからそれはやめてくれ」
 この美形の青年が地面に四つんばいで這いつくばって、草を食べる姿など見たくもない。
「しょうがありませんね」
 と青年も納得して、彼らはその廃屋から一歩足を踏み出した。




 半日かけて、服を買い取った民家にたどりつき、銀貨を出して食料を買い取った。
 応対に出た農家のおばさんは自分が譲り渡した息子の服を着込んだ青年に目をあて、ちょっと笑ったあと、気前よく燻製にして保存してあった肉を切り出してくれた。
「へぇ! 都に行きたいのかい。ふーん、魔術師に! ……行かない方がいいと思うんだけどねぇ……でも魔術の修行はあそこでしかできないし……」
 パリーは気になって聞いてみた。
「行かない方がいい? 山賊でも出るんですか?」
 おばさんはよく日に焼けた太い腕をふりまわして言う。
「いや、この国は魔術師がたくさんいるからねぇ。この国で盗みや強盗をしようっていう人間はまずいないよ。遠見ですぐさま発見されるし、飛行術のできる魔術師より早く地上を駆ける生き物なんざ、いないからね」
「……すごいですね」
 本心から、パリーは言った。
 ただし、パリーは泥棒なので別の見方をする。
(遠見に飛行術か。徹底して盗みがやりづらいところだなあ……とゆうことは、この国じゃ、泥棒組合やギルドはないんだな)
 あってくれれば同じ盗賊仲間、いろいろとネタを仕入れることもできたのに、と残念に思いながら、突っ込んで聞く。
「じゃ、なんで危険なんですか?」
 おばさんはじっくりとパリーをながめた。
 正直にいおう。パリーはこの手の女性に非常に受けがいい。亜麻色の髪、子犬のようにつぶらな瞳。そして小市民的なオーラが体から発散されているらしく、街を歩くとよくガラの悪い連中にからまれると同時に、こういったしっかり者の女性の警戒心をとくのか、大抵優しく接してくれるのだ。
 このときもおばさんは品定めの結果、合格と出たらしい、声をひそめて教えてくれた。
「都にいった旅人はね、よく姿を消すんだよ」
「……」
 重い告白に言葉を失うことしばし。
「あの、それって、どういう……」
「こんなところに住んでる私らが、理由まで知ってると思うかい?」
「……イエ」
「小耳にはさんだだけだよ。もうちょっと知ってりゃいろいろ忠告もしてやれるんだけどねぇ……」
「あ、いえ! とんでもないです、ありがとうございます」
 慌てて否定する様子に、彼女は頬の線をほころばせた。
「……気をつけて行きなね。あんたみたいな若い者が死ぬと、こちとらは切なくなるもんだからねぇ」


 仕入れた重大な情報に頭を悩ませること、三分。
 すぐさまパリーはそれどころではない事態に陥った。
「こらっ! 道端に生えてる雑草たべるなーっ!!」
「……空腹時に移行したら食事をするのは当然の行為だと考察するのですが」
 と、地面に座り込んで顔を草の中に押し込んだ状態で金髪美形はいう。
 パリーはぐしゃぐしゃと頭をかきまぜ、言った。
「あーもうっ。いいか、これからは人間の食べる食事を食べるんだ! 人間だってハラは減る。でも、その時に食べるものは人間の食事なんだ! えと……君も人間だろう。さもないと、いろいろと旅に支障がでる」
「支障が……」
 すこし考え込んだようだが、青年はすぐにすっくと立ち上がった。
 背が高く、姿勢がいいのでそれこそ軍隊の将校のように見える。
「わかりました。旅に支障がでると言われるのでしたら、やめましょう。ですが一つ質問があるのです」
「あ、ハイ、何でしょう?」
「食事はいつですか?」
 というわけで、さっき人のいい農家のおばさんから買ったばかりの(ずいぶんオマケしてくれた)食料を広げて、お昼ご飯となった。


 元々羊だったという青年は、決して聞き分けは悪くない。
 それからも羊の習性をしばしば無遠慮に見せたがパリーが言い聞かせるとすぐにやめた。……羊の干し肉だけはどうしても口にしようとはしなかったが……。
 パリーもこれは仕方がないとして最初から勧めようともしなかった。青年がパリーも何の種類か知らなかった肉片を口にするなり、すぐさま吐き出し、涙をいっぱいに浮かべて泣き出したのだ。青年が表情をかえたのはその時が最初だった。
 それ以来、パリーは食料を買い求めるとき、豚肉やら、牛肉やら、犬肉やらを指定して買うようにしていた。
 山賊が出ない街道沿いの旅は順調で、羊の青年がパリーをしのぐ健脚だったせいで、ほぼ最初に立てた予定通りに進んでいた。
 しかし、一つ不都合もあった。
 行程の半分あまりを消化したその日の夜、意を決してパリーは青年にたずねた。
「ねぇ、君。いつまでも君とかじゃなんだし……、名前、ないかな? 羊の間で使っていた名前とか」
「ありますが、あなたは羊の鳴き声ができますか? 音程の微妙な高低が個体名となるのですが」
「じゃあ、人間の中での名前、オレがつけてもいい?」
「はい」
「えーと……」
 羊がムートンだから……。
 パリーはぽんと手を打った。
「ムーミンっていうのはどうかな!?」
 安直だ!とシェリーあたりが聞いたら叫びそうな言葉だったが、青年はもちろんそんな事は言わない。
「はい、いいですよ」
 そのとき初めて青年が笑ったので、なんだかとても嬉しくなった。
「都についたら、ムーミンは何する?」
「魔術師に会います」
「じゃ、しばらくは同一行動だね。君をそんな姿にした魔術師、見つかるといいね」
 しかしパリーはふと思った。
 ───見つかったら、ムーミンはメーと鳴く羊に戻るんだろうか。
 道行く羊のあれがムーミンかもしれないし、これがムーミンかもしれない。
 ……なんだかパリーも羊肉が食べられなくなりそうだった。


 てくてくてく。
 てくてくてく。
 毎日毎日、ぶっとおしで歩く。
 季節は初夏。
 道を歩くにつれ、肌で実感できるほど気温が高く、過ごしやすくなってきた。
 茶色く踏み固められた道には草がはえ、草の上を踏んで歩く優しい感触がある。それとともに踏み潰された緑の匂いが濃厚に周囲にただよっていた。
 空は青く、どこまでも澄み、時折その空を横切って鳥と──飛行船の影が落ちる。
 団栗を半分に割ったほどもない船影をパリーは懐かしげに振り仰いだ。
 魔術師になれ、というのはシェリーの思いつきではあったけれど、実際、素晴らしい発想だった。
 魔術師がこちらの陣営にいれば、まさしく最強の空賊だ。この間みたいにみじめに逃げ回る必要だって、もうない。
 パリー自身だって、さぞかし歓迎されて重用されるだろう。今までのように、下働きで一日中追いまわされることは、もうないのだ。
 あくまで魔術師になれたら、だけれども、その空想はパリーを楽しくさせた。
 青い空のもと、雑草が萌える道を歩く。
 一定のリズムで、でも早く。
 歩いて歩いて、暗くなり始めると、大急ぎでキャンプの用意をする。明かりが一つもない中での夜は、視界が完全に閉ざされる真の闇だ。とても縄を張ったり、荷物からキャンプ用品をとりだせるようなものじゃない。目の先にかざした掌すら、見えないほど、闇は深かった。
 街道沿いの町に立ち寄り、ちょくちょく食料を仕入れるうちに、その町に駐留している魔術師にも出会った。
 パリーは当然のように居座っている魔術師人口の高さに内心「さすが魔法王国だ!」と感嘆したが、さっそく面会の希望を切り出した。
 魔術師は気さくにパリーにも会ってくれた。年は三十ぐらい。黒髪の壮年だが、魔術師のこと、実際いくつなのかはまったくの不明である。
 彼はパリーを見ると、興味深そうに腕組みした。
「フム。……珍しい。風の精霊に愛されているな、そなた」
「へ?」
「珍しいことだ。風の精霊がそなたを慕って舞っておる。鳥ならばともかく人にここまでなつくのは珍しいのだが……風の強い場所で暮らしていたとか、心当たりはあるかな?」
 心当たりといえば───もちろん一つしかなかった。
「あ……飛空船に、乗っていました」
「飛空船か。今時は空も、無頼といえば聞こえはいいが、他人の稼ぎをかすめとって暮らすけしからん輩が多いと聞く。危険な目には会わなかったか?」
 パリーはなんとも返答に困った。
 自分たちの行いが間違っても誉められたものでないことは先刻承知だ。
 しょうがなし、頷いてみせる。
「はい、あいませんでした」
「そうか。空賊でもなければ、空を生活の場にするほど熱心な商売人はそうはおらぬ。そなたの乗っていた船は余程熱心な商売人だったのだな」
 ……これは、探りをいれているのだろうか?
 パリーは困って、魔術師を見つめた。
「魔術師にもいろいろある。そなたは風に好かれている。そちらの系統ならば、魔術を身につけることも叶うだろう」
「ほんとですか!?」
「ああ。……良い風を持っている。大事にすることだ」
 魔法の素質を持った人間はそういない。自分がその一人だと知り、パリーはいっぺんに嬉しくなった。
 そこで思い出し、尋ねてみる。
「あの……、魔法で、動物を人間にすることなんて、できますか?」
「……動物を? うむ……、できぬことは無かろうが……、私にはできない。しようとも思わぬが。それは、危険すぎて禁じられている類の術法だ。また、使用意図も良くわからぬし……犠牲もある」
「犠牲?」
「反動だよ。動物が人になるかわりに、人が、動物へ変わるのだ」
 パリーはなんとか後ろを振り返る衝動を、こらえた。


 それからの日々は足取りも軽く、パリーが路銀の残高を見て心配になってきたある日のこと、彼らはやっと都にたどりついた。
 首都は城壁に囲まれ、外側からは鋸壁の凹凸が見える。城壁の高さは成人男子の一倍半ぐらいだろうか。この種の都市としては背が低いのは、おそらくここが魔法王国だからだろう。
 壁は騎馬が乗り越えられない高さで十分、というわけだ。
 パリーはこれまでずっと歩いてきた街道に口を開いている城門へ、まっすぐ入っていった。
 門番が横柄にたずねた。
「旅券はあるのか?」
「はい」
 お定まりの入門審査だ。荷物の中にぬかりなく用意されていた旅券を差し出し、いくつかの質問に答える。パリーの連れであるムーミンもいっしょに通ることができた。
「あの……ボクらは魔術師になりたくて来たんですが、どこへ行けばいいんでしょうか?」
 門番はにやにや笑いながら、パリーたちをながめた。
「……へえ。あんたらも魔術師になりにきたのか。それならホラ、あそこだ。大通りをまっすぐ行くと、でっかい青い建物にたどり着く。そこが魔法大学だよ」
「魔法大学……」
 パリーはその笑いに不快なものを感じながらも、教えてくれたことには礼をいった。
「ありがとうございます」
「あんたはとにかく、そっちの兄さんはえらく見栄えがいいからな、身には気をつけなよ」
 ───?
 判らないまでもまっすぐ道を歩き始めたときだった。
 いきなり傍らの青年が走り出したのだ。
「ちょ……! ムーミン!」
 慌てて追いかけながら名前を呼んでも青年は振り返りもしない。もと羊の健脚で、ぐいぐい距離を広げていく。
 大通りをそれてわき道に入り、まるで道を知っているかのように迷いなく駆けていく。
(息が、……。ええい、くそ! オレだってウィルナー家の一員だぞ!?)
 パリーは弱音をはきそうになる体を叱咤し、必死で後ろ姿を追った。元々ムーミンを連れて行かなければならない理由などない。都にくるまでは一緒だったのだし、約束違反でもない。これ幸いと、とっとと踵を返してしまえばいいのだが、それをできないのがパリーという青年のお人よし具合だった。
 ムーミンは延々走り続け、やがて脚を止めた。
 パリーは追いつくと、その肩に手をかけ、ぜえぜえと息を整える。
「いき、なり、はしり、だすな、よっ……」
「すみません」
 あっさり謝られると、パリーの性格上それ以上責める事はできなくなってしまう。
 パリーがなんとか周囲を確認する余裕を作り出すと、ムーミンが立ち止まったのは一軒の民家の前だった。
 何の変哲もない民家だ。
 別の家と軒をならべ、通りに面している。家の前庭などはなく、通りに玄関を晒していた。玄関の隣には紫の小花をつけた植木鉢が並び、一匹の黒犬がその前に寝そべっている。首には輪と紐がつけられ、紐の先は玄関につながれていた。
 ムーミンはその犬に手をのばす。
 さわられて犬は鬱陶しそうに目をあけた。
 そしてムーミンの顔を見たとたんに吠え出す。
「うわっ、コラ、ムーミン! 手、離せよ。さっさと逃げなきゃ……!」
 そのときガラリと扉が開いた。
 扉の先にいたのは、目のさめるような赤毛の女性だった。それも、十人の男のうち八人は美人だといいそうな。
 赤毛の女性は情熱的であり、奔放か、思いつめやすく一途だという印象をもたれやすい。彼女の場合は後者だった。ムーミンと、黒犬を食い入るように見つめている眼差しがそういう印象を持たせるのだ。
 短く刈り上げた髪、挑発的にもりあがった胸元。まるで下町の少年のように半そでの、体にぴったりしたシャツとズボンを身につけていた。
 ムーミンは黒犬から手を離し、彼女を見つめて言った。
「───あなたが、私を人間に変えた魔術師ですか?」


   § § §


 てっきり「いきなり何をいうの!?」とくるかと思ったが、彼女はそうはしなかった。
「───あなたは、何者なの?」
 探るような眼差しが、ムーミンと……パリーにも注がれた。
「羊です」
 簡潔すぎる。
 普通なら怒り出すような返答だったが、彼女はむしろ、ひどく納得したようだった。
「…………ああ。それで……、この子の居場所がわかったんだ。こんなところで立ち話もなんだから、入ってちょうだい」
 ムーミンたちを家の扉の内側に招きいれ、椅子に座ったところで、さてとなった。
「私の名前はガリア。そしてこの子は……」
 と犬の毛皮をなでる。
「第一位王位継承者、ウィルフレート殿下よ」
「日嗣の君!?」
 思わずパリーは声をあげてしまい、ガリアに睨まれてしまった。
「あなたは一体何者?」
「え、えーと、魔術師になりたくて、旅の途中で、彼に命を助けられて……。彼も自分の体を人間に戻したいから魔術師に会いに行くってことで、一緒に都まで旅をしようってことになりまして」
「そう。───悪いけど、この話を聞いてしまったからには無事で帰せないわ」
 パリーは横様の視線を受けて固まる。
 盗賊のハシクレとして、本物の殺意と示威行為ぐらいは見分けがつくつもりだ。
 彼女の瞳にこもる殺意は本物だった。
「ガリアさん」
 制止するように、声がかかった。
 ムーミンだった。
「羊で、右も左もわからない私がここまで来れたのは彼のおかげです。彼は私に命を救われたと言いますが、それはすでに精算がすんでいるほど何度も助けられました。彼はとても善良な人です。あなたの不利となるようなことはしないでしょう」
(ありがとう、ムーミン!)
 胸の中でパリーは絶叫した。まったくありがたかった。
「え、えーと……ここで見たことや聞いたこと、話すなって言うなら絶対話しませんから……」
「あなたは羊よね?」ガリアはムーミンを振り返り、念押しするように。
「はい」
「だからあなたは信頼できる。羊だから。でも、あなたは羊だから、この人間にだまされていても、わからないんじゃない?」
「お、オレは何もしませんよっ!」
 どうしてこう貧乏くじばかりを引くのか。
 パリーはもう泣きそうだった。
「そうだ! あなた方の仲間になりますから!」
「羊の彼は必要だわ……殿下を人間に戻すためにね。でも、君なんかが何の役に立つの?」
「ということは、私は絶対に必要なんですね」
 はっとガリアが振りかえる。
 ムーミンは旅の途中、肉きりナイフとして使った刃物を首筋にあてていた。 「彼を殺したら私も死にます。ですから、まず話を聞かせてください。あなた方は、いったいどういう方々で、なぜ私を人間にしたのですか?」
「……なにもわかってないのね。キミが人間になったんじゃない。殿下が犬になったのよ」
 そして、反動で、ムーミンも人間になったのだ。
「日嗣の君である殿下には、敵が多いわ。そういった輩の一人が殿下を動物にし、王宮で非常用の食料として飼われていた羊だった君を、辺境に捨てたのよ。殺さなかったのは、人を殺せば魔術師の遠見の鏡が発動するから。そして大貴族であり、相手が庶民であっても、殺人は大罪だわ。彼らは動物となった殿下を殺すつもりだったけれど、殿下の薬師だった私と私の父が協力して殿下を王宮から盗み出したの」
 たしかに、軒先につながれている犬をまさか殿下と思う者はいないだろう。
 大切なものは秘められるはず、という心理を逆手にとって、堂々と表にさらした大胆きわまる計画だった。
「極秘に殿下の半身を探していたけれど……、そちらから訪ねてくれるだなんて。羊さん。あなたがそこまで言うなら仕方ないわ。その青年の命はとりません。それに、殿下の姿さえ戻ればどうどうと謀反の罪を問える。もう、影に潜まなくてもいい。さあ、いきましょう! 殿下。こちらの手の者の魔術師のもとへ行けば、元に戻れます!」
 犬を抱いて、ムーミンの手をとり、立ち上がる。
 残るパリーがどうしようと迷ったとき、後ろから肩をつかまれた。
「悪いが、全てが終わるまで、身柄を確保させてもらう」
 振り返ればそこにいたのは、中背だがまるで岩を掘り込んだような願望の中年男性で、パリーはごくりと唾をのんだ。
「彼と私は一緒にいます!」
 ムーミンが叫んだ。
 パリーも内心喝采する。なまじ盗賊なだけに、ウラの手口に通じている。こういう場合、さっさと二人別れ別れにされてサックリ口封じに殺されてしまうのだ。そして羊の彼の方は、何も知らされないで「パリーは無事だよ」といわれつづける……。
 ガリアはパリーを拘束している男と視線を交わし、仕方ないという結論に達したらしい。
「あなたも一緒に来てもらうわ」
 ということで四人と一匹で、家を出た。


    二


 水が滴る音が聞こえる。
 黴の匂いと、湿った石の匂い。
 パリーはとうとう牢獄行きになった自分の貧乏くじ体質についてしみじみと考えつつ、隣のムーミンを見た。
 彼は膝をかかえ、顔をうずめている。
 ……落ち込んでいる、ようだった。
 そりゃそうだよなあ、とパリーは思う。
 ───なんせ、魔法の半身が、目の前で命を断たれたのだ。
 あのあと、四人は路地をぬうように走り、魔術師の家の戸を叩いた。パリーの常識では魔術師といえば漂泊の身か、豪邸に住んでいるものだが、そこはごく普通の家だった。
 そして出てきた白髭の老人と一緒に「魔術をやるのに必要な場所」へ向かおうとしたところで───、覆面の男たちに襲われたのだ。
 不意をつかれ、人数はこちらの倍以上だった。瞬く間に捕縛されて、犬を取り上げられ、犬は、その場で斬られた。
「ああっ……! 殿下!!」
 絶叫のようなガリアの悲嘆の声がひびくなか、ムーミンは食い入るようにそれを見ていた。
 そして、彼らは牢に放り込まれたのだった。ちなみに男女別。
 ガリアたちの口ぶりからして、魔法の解除には殿下とムーミン、両方いなければ駄目っぽい。つまり、ムーミンは、これからずっと、人間の姿でいなければならないという事で。
 人間の身にあてはめてみれば、羊に変わったまま一生いなければならないということだ。
 ……そりゃあ落ち込みもするだろう。
「……やっぱ、あの魔術師の爺さんがアヤしいよな……」
 なんだかんだと解除を先延ばしにしていた。「ある場所でなければ解除できない」というのもとってつけたようで、不自然だ。
 しかも、タイミングが良すぎる。
 魔法をとく要件がそろったと同時に、襲撃だ。羊の彼が来たことなど、一体誰が知るというのだ? どう考えても、怪しすぎる。
(どーなるのかなあ……? オレ)
 果たして、魔術師になれるんだろうか──?
「ため息ついてるなあ、お前」
 声がかかって、顔をあげる。鉄棒越しに、三人の牢番が立っていた。三つ子のようにそろった表情。不快な笑いを口元に刻んでいる。
「へぇ、茶色の髪……はともかくとして、紺碧の瞳ってのはいいな。珍しい色だ」
 その、物を見定めるような物言いにむっとしながらも黙っていると、牢番はムーミンに視線を移した。
「おい、顔あげろ」
 その声に反応してムーミンが顔をあげると、ほお、と顔が動いた。
「よしきめた、お前だ」
 決めた?
 牢のカギがあけられる。この牢にいるのはパリーとムーミンだけだ。二人の牢屋番がパリーを牽制し、一人がムーミンの腕をとって立たせる。
「待てよ! どこにつれて行くんだ!?」
 返答は、容赦のない警棒での一発だった。
 頭を横殴りにされて、体ごと石の床に倒れる。脳裏に浮かんだのは都市に入るときの門番の言動と、辺境の気のいいおばさんの忠告。
 ───都に行った旅人は姿をけす───。
 反動によって、羊から人間になったムーミン。そのとき魔術師はなんといった? 犠牲?
 ひょっとして、と朦朧とした頭で、パリーは思う。
 魔法っていうのは、少なくとも一部の魔法には、効果の裏に犠牲がつきものなんじゃないのか? 犠牲───生贄が。
 あの───門番のにやにや笑い。
 もしも、生贄が必要だとしたら、そうしたら、自国の民じゃなく、旅人を使うんじゃないか?
 旅人を、生贄にささげるんじゃ、ないのか?
 あの門番はそれを知っていたから、あんな風に笑ったんじゃ、ないのか……?
 そこまでだった。
 意識は、闇に沈んだ。


 強引に揺り起こされたのは、それからさほど経っていない頃合いだ。
 痛みを堪えながら目をあけると、そこに、あの幼馴染の顔があった。
「しぇ、シェリー?」
「そうだよ。……ったく、このドジが!」
「な、なんでここにいるんだ?」
「……」
「運が良かったなあ、お前さん」
 沈黙するシェリーの後ろから、顔なじみの船員が現れた。パリーは顔を輝かせる。
「トム爺さん!」
「いやなに、話は簡単だ───とっつかまっちまったのさ。あの後魔術師にまた襲われてな。この牢獄にまとめてぶちこまれちまった。けど腐ってもウィルナー家だ。そう簡単に閉じ込められてたまるもんかい。そうしてみんなで揃って脱走する途中、お前さんの姿を見かけたのさ。───魔術師になるって出て行ったのに、なんでこんなところにいるんだい?」
「……出て行ったんじゃなく、突き落とされたんですけどね」
 手短に、これまでの事情を話した。
 そしてはっとして頼む。
「頼む、シェリー! ムーミンを助けてくれ!」
 シェリーは、黙って、パリーを見つめた。
 薄闇のなかでも、その冷ややかな眼差しが感じられる。ウィルナー家を束ねる頭領。その肩書きは、伊達じゃないのだ。
「……お前はそいつに命を救われたのか?」
「ああ、三度もだ」
 パリーを殺すなら自分も死ぬ───。そう言って、かばってくれた。
「羊なんだろ?」
「そ、そりゃあ羊だけど」
「子羊の煮込み料理、お前だって好きだったじゃねぇか」
「でも友達なんだ!」
 韻韻と、牢屋に声が反響した。
 パリーはしまったと口を押さえる。
 けれども牢屋番はすでにシェリーたちが全員黙らせた後だったらしい。何も起こらず、肩の力を抜いたところで───シェリーの声が響いた。
「わかったよ、しょうがねぇ」
 パリーの顔が輝いた。
 シェリーにはたくさんの欠点がある。
 けれども、パリーについて嘘をついたことは、ただの一度もないのだった。


    ◇


 人を殺せば遠見鏡が発動する。
 パリーはしっかりそのことを憶えていて、シェリーたちに伝えた。
 シェリーたちはやりづらそうにしながらも、王宮の衛兵を殴り倒し、衣服を奪ってなりすますと、そいつを尋問して「喜びの部屋」と呼ばれている生贄部屋へ向かう。
 パリーはそこで、驚く発見をした。
 ムーミンを見つけてほっとすると同時に、生贄候補のなかに、来る途中出会った魔術師を見つけたのだ。
 彼のほうもパリーのことを憶えていたらしい。驚いた声で問い掛けてきた。
「風の恵み子よ。なぜここに?」
「あなたこそ、なぜこんなところに……」
「……そなたの連れが人には見えず、どうにも気にかかってな。そこへそなたの質問だ。ひょっとしてあの青年は人間ではなく動物でなのではないか、もしそうだとしたら、いったい「誰が」動物へ変わったのか。王宮の貴人のなかで最近姿を消した人間はいないか──好奇心は身をほろぼす。そういったことを調べるうちにつかまってしまってな、罪状をでっちあげられてここへ放り込まれたのだ」
 そのときパリーの脳裏にひらめいたものがあった。
「あなたは僕に、魔術の才能があるとおっしゃってくださいました。どうでしょう、ここからお助けするかわりに、僕に魔術を教えてくださいませんか?」
 思案する眼差しで、彼はパリーを見、その後ろにいるシェリーも眺めた。
「……珍しい。後ろの女人は、火の精霊に好かれているのだな。私にできることならば、お教えしよう」
「じゃ、契約成立ですね!」
 嬉々としていい、後ろのシェリーを振り返る。
「シェリー!」
「わかった」
 いいざま、剣を振り下ろして鎖を断ち切る。
 とびちる鎖の輪。
「爺さん、オレにも魔術を教えてくれるんだな」
 にやりと、爽快感すら感じる破顔。
「───ああ。約束しよう」
 力強い言葉に気をよくしたシェリーは結局その部屋にいた人々の鎖全てを断ち切って、一家は脱走した。


   三


 生贄の人々が沸き起こした騒動と衛兵の制服にまぎれて王宮を出て、どこをどういったのかちょっぴり方向音痴ぎみのパリーがわからなくなったほど沢山の角を曲がり、一軒の民家に入る。その小さな庭には艀ほどの大きさの船がとまっていた。
「よーし、ちゃんと用意してあるな!」
 満足げに頷くシェリー。そしてその船の脇から、頭に何も無い小僧が現れた。もちろんパリーの顔見知りだ。名前はサマセット。
「ひどいですよー、頭領。交戦中、いきなり蹴落とすんですから……」
「機転だき、て、ん。全員つかまっちまったら誰が逃げ足用意するんだ?」
「……だからってイキナリ蹴落とさなくても……、すっげー怖かったんですよ!?」
 パリーは深い共感とともに、無言でサマセットの肩を叩いた。この地上の誰よりよく、その気持ちがわかる。
 そして同時に、シェリーにそういう事をいっても無駄だということも、判っていた。
 予想通りにシェリーは言う。
「なんだあ? お前ら男だろ。命の危険もないんだ、怖いぐらいでガタガタ言うな!」
 イエ、命の危険もあったんですけどね。
 パリーはサマセットと一緒に顔を見合わせ、とほほと笑う。
 切なかった。


   § § §


 ムーミンは、別の国へと逃げ出した時点で、一党に別れを告げた。
「私は羊に戻りたいんです」
 毅然とした表情で彼はそういった。
「ですから、探します、世界の隅々まで。どこかに私が元の姿に戻る方法があるはずですから。何年かけても───必ず私は元の羊に戻ります」
「よおし、よく言った!」
 シェリーはこういう人間を好む。
 要請にこたえて気前よく船を地上に下ろし、剣を一振りと、かなりの額の路銀を与えた。
 パリーも一緒に降り立った。背後にはあの魔術師がいる。パリーとシェリーの魔術の訓練は順調だった。
 空は、彼に会ったときと同じ、天の底がみえそうなぐらいの眩しい青空だった。
「ガンバレよ!」
「はい、次に会うときは羊の姿で!」
 ……いや、それはちょっと。
 つい苦笑してしまったが、ムーミンは気にもせずに笑っている。
 考えてみれば、ムーミンの笑顔を見たのはそれが二度目で。
 パリーも最後には苦笑から「苦」を消して、頷いた。
「見分けつくか判らないから、それまで羊は食わないでおく。だからムーミンも羊にもどったらそっちから話し掛けてくれな」
「ええ! ……パリー。いろいろありがとうございました」
 頭を深々と下げる。
 そうして彼は、一人歩き出した。

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■ 杉浦明日美 様 ■

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[モドル]  [キカクトップ]  [ニジボシュウトップ]